時候は、彼岸。

彼岸とは、彼の岸、あちら側。

あちら側とこちら側が近づくのが、彼岸の候。

あちらとこちらの境目について考えてみる。

たとえば、我慢と傲慢の境界。

傲慢とは、自分を相手に押し付けること。

相手という存在を無視してしまうこと。

我慢とは、自分が耐えて相手を受け入れること。

自分が耐えているということは、相手は気づかない。

伝えようともしないでいるのに、
「わかってくれない」気持ちになるのは、
実は、最大級の傲慢だと気づく。

境界にあるのはコミュニケーション。

伝えないと伝わらない。

伝えるとは人に云うこと、言葉にすること。

生きていれば、不安になることもある。

不安を手放せなんていうけれど、
それが簡単にできたら苦労はしない。

「気にするな」なんてアドバイスは力にならない。

そんなこと言われた段階で、
あぁ、この人は本気で悩んだことなどないのだろうと、
僕なら思ってしまう。

時候は、彼岸。

彼岸とは、陰陽論の世界で考えると、
陰の気と陽の気が、ほぼ同量になる季節。

陰陽で不安を読み解いてみる。

そもそも、不安というのは、
だいたい自分の心がつくりだしている。

自分がつくったのならば自分で対処できるはず。

まず、陰の力を借りる。

陰性とは、拡散性・発散性の力。

そこで、自分の頭をつかう。
不安の中身を細分化し、
発想を拡げてみる。

一旦は拡げてみないことには、本質は見えてこない。

そしてそこから、陽の力を借りる。

陽性とは、求心性・収縮性の力。

一旦は拡げた思考を、収束する。

発散と収束の後に、できることを考えてみる。

そこから、自分の体をつかう。

小さなことから行動してみる。

そのときに思い浮かんだ小さなことで構わない。

そこに合理性はなくてもいい。

現状とその先に無関係に見えることでもいい。

とにかく自分が信じたことに真剣に取り組む。

きっとなんとかなる。

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(写真は、中秋の頃の月。残念ながら雲がかかってました。)