平尾誠二さま

世に理不尽なことはたくさんあれど、
あなたがその年齢で旅立ってしまうことほど、
理不尽なことはないでしょう。

圭拝

2016年10月、53歳で永眠。
ミスター・ラグビー、平尾誠二さん。

追悼の意も込め、
最近読んだベスト本のひとつに挙げたいと思います。

『理不尽に勝つ』
平尾 誠二

僕は、自分で言うのもなんだけど、
理を重んじる人間だと思っている。

何事に対しても
「なぜなんだろう」と考える癖がある。

ときに、人から、
「理系的な脳なのか」と言われたこともある。

「理屈っぽすぎる」とも言われる。

基本、自分が納得しないことには動かない。

「なんでやねん」と疑問に思ったことには、
相手が誰だろうが、とことん噛みつく。

だけども思うようにいかないことなんて、
山ほどある。

しゃあない、と割り切るしかないことも、
たくさんある。

ときには「なんとかなる」といったん手放すことも必要だし、
それには「なんとかする」という自信や裏付けもいる。

————
理不尽な体験をすることは決して無駄にはならない。
それどころか、確実に人間を鍛えてくれる。
強くしてくれる。
理不尽を経験すればするほど、人は強くなる。

(P.4)
————

それとね、僕自身、
ものすごく飽きっぽい。

子どもの頃から、親や学校の先生からは
「だからお前はあかんねん」みたいなことをよく言われたけれど、
まったく意味がわからんかった。

飽きっぽいのはあかんことなのか?と、
思い続けてきたけど、
平尾さんが言われることに、ものすごく共感。

————
時間が経過して、状況が変わったり、自分自身が物事の見方を変えてみたりするのだから、昨日と今日とで言うことが違ってあたりまえ。
それはより考えが深まったということだから、一種の進歩といえる。
昨日と今日とで言うことが違うと「信用できない」となるけれど、私にいわせれば、むしろ同じことを言っているほうがおかしい。
私が飽きっぽいというのは、決して責任を放棄しているわけではない。
あえていうなら、執着し過ぎないということになる。

(P.114)
————

ラグビー日本代表の監督を「全権を委ねる」と任されながら、
負けが続いて、さっさと解任された姿を見たときに、
ほんまに理不尽やなぁ、と思った。

ちょうど、前後してサッカーでも日本代表の岡田監督が
メディアからボロクソに言われていた。

あの人たちはほんまにすごいなぁ、と思っていた。
あんだけ言われて平気でいられるものか。

そんなわけないか…。

そのときの二人の監督の心境についても描かれている。

なるほど、と感じることがいくつもあった。

批判というのは、
多くは「後出し」ジャンケンのようなものだという。

納得できた。

————
責任を他人に求めても、それで社会が変わるわけでもない。
状況を変えるには、自分自身が変わるしか、自分自身で変えていくしかないのである。

(P.13)
———–あらかじめ結果がわかっていることに、人は興味を持てない。
おもしろくないからだ。
たとえるなら、おまけつきのキャラメルのようなもので、そのおまけの中身がわかっていたほうが楽しいか、開けてみなければわからないほうが楽しいかということだ。
楽しいのは、間違いなく後者だろう。
何が入っているかわからないから、不確実だからワクワクするのだ。

(P.226)
————今以上に幸せになることは決して不可能ではなく、十分可能なのではないか。
その実現に向けて、日々を能動的に生きることはできるのではないか。

(P.142)
————

追伸

すべてが予測通りに動くことなんてありえない。

理屈通りに進むものばかりじゃない。

ときにはものすごく理不尽なことも起こる。

だけど、もしかしたら理屈で割りきれないことを
割りきろうとするために理不尽さがあり、

理不尽な目にあうからこそ諦められることもあるのかと思うようになりました。

 

それは、平尾さん、

あなたの影響によるところがあるのだと、

感謝しつつ、
心からご冥福をお祈りいたします。

『理不尽に勝つ』
平尾 誠二
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